トラウマ書棚

読書好きな3児のママが、これまでに出会った本を紹介します。

学校にも、もっと警察や司法、福祉の介入を

小学生のころ、私もいじめに遭っていました。大人の世界でいえば、それは傷害や器物損壊名誉棄損などという形になります。それほど悪質なものを子どもだから、という理由で被害者に我慢だけさせるというのでしょうか。被害に遭った生徒がどんな形であれ教育を受けられ、社会に出ていけるように、学校はもっと警察や司法、福祉と連携していいと思います。

子どもだって、加害者になる

小学校の中学年ともなれば、体は大人並みの子だって出てきます。頭の働く子も出てきます。大人ですら善悪の判断が狂うことだってあるのにこれまではすべて「子どものしたことだし」といわれ、責任はとらなくていいことになっています。

あまりにも悪質なものは保護者が責任を負う、ということになっていますが、子供のいじめは多くの場合は学校の中で解決され、「ごめんなさい」のひと言で済んでしまうのではないのでしょうか。被害者の子どもにも、『他人の間違いを許すのも、人に必要なことだから』という指導になってしまいます。

被害者の子どもも、流れや雰囲気で許さなければならないような気持ちになってしまうでしょう。でも、受けた被害というのは感情とはまた別のところに蓄積されていくようで、その時は耐えても、思いもよらないときにそれがPTSD等という形で現れることがあるのです。学校を卒業してから、何年も経って。

考え方によっては、先生たちも時には凶器さえ持った犯罪集団に丸腰で向かわなければならないのですよ。先生という職業がするべき仕事の範囲外ではないでしょうか。モンスターが時々学校を脅かすので、学校も司法の専門家と連携するべきです。

私は最初に精神科に行ってから、医療費があまりにも高すぎ、一度薬を飲むと体がふにゃふにゃして動けなくなるので、その後病院にはなるべく行かないようにし、どうしようもない時には病院で症状を過少申告し、最小限の薬だけもらう、というようになりました。普段は気合だけで、悪化をおさえています。「ここで具合悪くなったら、医療費が、薬代が!なんとか持ちこたえろ!」と。良くないのは分かっていますが。

今の私の治療費は、私または私の家族が出さなければいけないのです。理不尽を感じたりしますがもう何十年も前の話ですからね。その頃の加害者たち、今は死んだ人もいます。新聞に名前が載るほどの活躍をした人もいます。嫉妬の心がまったく無い、とはいえませんが。私は今では、夫そして子ども3人の家族を持つことができました。

小学校の頃の記憶

学校では休み時間が一番の恐怖だったので、休み時間が来ると、本を抱えて教室から抜け出し、特別棟と渡り廊下の間の狭い隙間に入り、時間を過ごしていました。その頃の一番のお気に入りがこれ。

銀河鉄道の夜
宮沢賢治 作

新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)
新潮社文庫、「星空とSL」の表紙だった頃のものが好きでした。

私と同様、いじめを受けている少年ジョバンニの、銀河の旅。そこが狭い空間でも、表紙を開けると心は銀河へと飛んで行けました。星の中の旅は想像するととてもきれいですが希望を与える物語ではないですよね。冥界行きの列車ですから。でも、ジョバンニひとり、そこから帰って来る。その意味を考えながら、何度も何度も読んだものです。表紙が擦り切れるまで。

大人になった今は

長男が部屋の中に、雑誌のグラビアを思いっきり広げていました。片付けようとしたら、怒られました。「グラビア?そんな物、子どもの手の届く所に置いちゃダメだよ!」とママ友に言われましたが雑誌は鉄道雑誌、グラビアはカシオペア。そんな長男に、こちらの本をあげたところ、やはりまだ早かったようです。長男現在小3。
宮沢賢治童話集 銀河鉄道の夜 (つばさ文庫)